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京都市西院について語ろう 12
155 名前: 近畿人 投稿日: 2008/07/02(水) 02:19:33 ID:YrCrD2c2
『京都府の歴史』 山川出版社 
p66
 葬地にもふれておこう。律令制では京内の埋葬が禁じられていたから、平安京の人びとは京外に葬地を
求めねばならなかった。天皇や貴族は都をめぐる丘陵地に墓を築いた。桓武天皇が宇太野(のち伏見の柏原)、
嵯峨天皇が嵯峨、仁明天皇が深草に葬られたのが代表的である。藤原氏の墓域は主として鳥辺野や木幡にあった。
〜〜〜〜 民衆の墓地といえば鳥辺野や蓮台野が思い浮かぶが、平安初期の葬地として確実なのは鴨川と桂川の
河原である。桂河原では放牧や耕作も行われたが、島田・久受原・佐比などの地が葬送に使われた。平安京佐比(道祖・サイ)大路の
はてが佐比橋で、葬列はここを渡って「佐比の河原」に至り、死体を遺棄したらしい。承和九(842)年、悲田院は島田・鴨河原の髑髏5500あまりを
焼いて埋葬したという。葬地の光景が目に浮かぶようである。

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